持ち物には役割がある。

 

 

 

 

みなさんこんばんは。

心理養成講師の松本幸子です。

 

 

社会は今もなお大変です。

みんながみんな大変な方に向っているように見えます。

 

それは本当にそうであると思います。

 

 

過酷な日常を過ごしていらっしゃる方もいらっしゃります。

私は、ほとんどの時間をそうした方々。

 

 

そして、それを支える方々と共に過ごしています。

壮絶な環境下で、生きています。

 

 

毎日、時間に追われるような気分になります。

目を、背けたくもなることもあります。

 

 

そんな毎日を、生きています。

 

そして、その中で今のところ唯一の楽しみが、

見当たりません。

 

 

それは、日常の全てが楽しいので、

どれが一番にたのしいのかが選べないのです。

 

 

それは私がこれまで、メンタルを鍛え上げてきたからです。

無数の失態、数えきれない程の失敗、悲しみの数々、涙の数々。

 

 

そして傷付けあってきた人々と、自分自身。

 

 

でも人様が見れば、そんな私の姿を

「大変ですね」

そう言われる事もある。

 

 

朝から夜眠る迄のルーティーンを、ご紹介したいと思います。

 

 

朝5時j30分

起床

 

そのままキッチンに向い朝食の準備。

玄米、自然なおかず、梅干し、豆乳、豆乳ヨーグルト、味噌汁。

 

お昼用のお弁当も詰め、

身だしなみを、整えながらの洗い上げ。

 

 

午前7時40分自宅を出発。

自転車に、大きめのカゴ、仕事用の着替え2セット、お弁当の

送料約7キロ~10キロを自転車の荷台に乗せて、

 

 

15分ひたすら漕ぎ、

自転車の駐輪場に到着。

 

 

そのまま着替えを持って電車の駅に徒歩で向かう事約10分。

 

電車に揺られ4駅先迄向かう。

そこからバス停迄徒歩にて5分。

 

 

定刻のバスに乗車し、

揺られる事15分ほどで職場に到着。

 

 

9時30分~18時30分迄みっちり業務を行い挨拶を終え帰社路へ。

 

帰りのバスは、18時37分発なので、

職場のある2階から、結構な勢いで階段をスタスタターッと、

降りロッカールームに直行。

 

 

制服から私服に着替え、

会社を出る頃には時すでに18時34分。

 

 

バスの時刻には間に合いたいので

急ぎつつも転ばないように気を付け挨拶を終え徒歩でバス停迄向かう。

 

 

ここまでで、かなり息が、上がってます。

でも、なかなかいい運動になります。

 

 

ここから家に到着するまでが、また大変な毎日なのですが

ここからはまたの機会に書きますので是非チェックしておいてくださいね。

 

 

 

という事で、お待たせいたしました。

本日のテーマ。

 

 

物には役割がある。でございます。

 

 

ふと今いる自分の部屋を見渡してみましたら、

結構な物が溢れているではないですか。

 

 

雑然と、まではいかないと思っていても

いつの間にか1つ1つを、この手で選んでお金を支払ったわけです。

 

 

その中に、どうしてだか前からずっと捨てれない物があるのでした。

今から20年位前に買った物ですが未だに使っているのです。

 

 

当時の値段で500円。

品物は布制カバン。

 

 

この布制カバンは、毎日使っています。

最近になって、あちこちほつれだしてきてはいますが、

 

 

そうした布のほつれ具合がスキなんです。

 

 

重い荷物が入るので紐もちぎれそうでした。

でも、縫いました。

 

 

修理するのが好きなんです。

 

 

その布制カバンを、どうして捨てないで今迄使っていたのだろう?

どうして、この布制カバンだけが他の3000円くらいする

 

 

ナイロン製のカバンはへたったのに

たった500円の布制カバンが最後まで残ったのだろう?

 

 

 

3回に1度は、洗濯機でガーガー洗っているのに。

 

 

その訳は多分ですが、

購入したての頃、あまりの可愛さに使いたくなかったので、

 

 

引き出しの奥。

そのまた奥の方へ、

 

 

ズズズイーッと大事にしまい込んだのです。

 

 

私の記憶が確かならば、

およそ12~5年。

 

 

タンスの肥やし状態。

 

 

その間、洋服屋に行く度、

なぜだか目に付くわけです。

 

 

可愛いカバンが。

 

それで買うんです。

 

いくつあってもいいから。

 

 

3000円とか、9800円とか、割りとそういうの。

可愛いから次の日から使うんです。

 

 

そういう事を、繰り返してました。

 

その間、あの500円布制カバンはタンスの肥やし。

 

 

 

それで、いつ頃肥やしが、肥やしでなくなったかと言いますと、

 

 

ここ5~6年の事だと思います。

 

 

でも、なぜ今この布制カバンなのか?

ずっと気になってたんです。

 

 

物って、買う時があって手元にあるわけですよね。

 

 

買う時、その場所にいなければ今、手元にはないですよね。

 

 

て事は、私が買って来たので、

そこには何らかの目的も存在するわけだ、と思ったのです。

 

 

でも、当時はただなんか可愛かったし。

安かったし。

 

 

特に目的もなかったのかな?と思うんです。

 

 

でも、可愛い物を持った自分の姿が見てみたいとは思いました。

 

 

お得な買い物を、したような気持ちにもなりました。

 

 

 

そんなこんなな、可愛い布制カバンなのに、

なぜだか、タンスの肥やし。

 

 

 

そこにはある心理的なトリックが隠されていました。

 

 

それは買った状況は、使う状況ではないということです。

 

 

たった500円の布制カバンを買った場所は、大阪でした。

大阪のミナミの、どこのお店かも今は覚えてないのですが、

 

 

大勢の人の中で、なぜか布制カバンに目が止まり購入したのです。

そして使う場所は、静岡県

 

 

やや、浮いている感じがあったのです。

 

 

あんなにも可愛く見えた布制カバンなのに、

どこか気恥ずかしさが見え隠れしだしたのです。

 

 

そのままタンスの肥やしへ。

 

 

 

時が経ち、

あれから20年。

 

 

 

何がおきたのか不思議ですよね?

今、あの頃の可愛い布制カバンを持った自分がいます。

 

 

あの時、しまい込んでしまったのは、

布制カバンと一緒に自分の可愛い布制カバンに対する気持ちだったのです。

 

 

 

それは、大阪だから似合う。

でも、静岡に来ると浮く。

 

 

周りの環境に左右されていたのです。

 

 

 

布制カバンひとつの事で、です。

 

 

でも、思うんです。

捨てずにいて良かった。

 

 

 

環境に合わせて、

いらないから捨てよう。としなくて良かった。

 

 

20年前。

確かに感じたあの思い。

可愛いから持ちたい。

 

 

そんな淡い初恋に似たような気持ち。

 

 

 

たったの500円。

されど500円。

 

 

 

物には役割がある。

そう思うんです。

 

 

 

長い時間お付き合いいただきありがとうございました。

 

またお会いできるのを楽しみにしております。