術後の、お話

 

 

 

みなさんいつも本当にありがとうございます。

心理養成講師の松本幸子(しあこ)です。

 

 

早いもので、

7月ですね。

 

 

ここ静岡県は雨模様の一日でした。

今日、久々のお休みだったので

 

 

自転車の荷台に、プラゴミと呼ばれている石油の元を

資源庫までカッパに長靴、ヘルメット・スタイルで運搬して来ました。

 

 

帰り道で、キラリと光るこんな素敵な光景にドキッとしました。

 

 

雨の中・・・

そこだけ小春日和かと思う程の空気感。

小鳥の薄い産毛が、一枚だけ舞い降りて来て、

 

ヒラヒラと言うよりも、

フワフワと空気中を、漂うようでした。

 

 

雨の雫に当たりもせず空気の中をすり抜ける産毛は

【刹那と呼べばいいのだろうか。】

 

 

と、いう事で本日のテーマは、

『術後の、お話』です。

 

 

どうして本日のテーマに、こちらを選んだのかと言いますと、

私は、19歳の時に生死を分ける大手術をしました。

 

 

中学を卒業後、大阪の

あいりん地区、萩之茶屋駅にあります

(※現在は、多分天王寺駅に移設されていると思います。)

 

 

美容学校に通っていました。

 

その直ぐ後に住み込みで美容室オーナーの

マンションがある緑地公園駅。

 

 

マンションには、オーナー、、

16~7歳の私、当時31歳と、22、3歳の美人系

女性の先輩の4人暮らし。

 

 

一人に一部屋、真新しいベット付。

ひと月1万円という寮費で暮らしていました。

 

 

食事は

朝と夕食については未だに、考えるだけでも恐ろしいメニューで生きていました。

 

 

その上、初めての自宅以外での共同生活。

 

 

電車で週5日、

緑地公園駅~中津駅まで通勤。

 

 

10代半ば過ぎ。

初めての親と離れての寮生活。

 

 

最初は、ホーム・シックになりました。

慣れない日常に、多大なストレスを感じていました。

 

 

何が、原因かも分からなかったストレスまみれの中。

たった一つの楽しみがありました。

 

 

それは、アイスクリーム。

3ほにゃららの、ミント系やキャラメルとマシュマロのとか

 

 

 

 

朝から、晩まで働いて緑地公園駅迄電車にゆられ

ポツンと一人でいると、

 

 

甘くて、美味しそうなポップが気になり立ち寄り

一つ300円くらいのアイスクリームを買い。

 

 

その場で食べるのが、

何よりの楽しみだったのです。

 

 

それを食べた途端・・

その日の疲れも、何もかもがなくなっていく気がしていました。

 

 

16、7歳の私の行動を

止める人は誰もいないのです。

 

 

自由に、いつでも、好きなだけ食べれる幸せを

産まれて初めて味わいます。

 

 

また、夕食にも好きな物を好んで食べていたように思います。

パスタに、ミートソース(レトルトの物)。

 

ロール・パン。

 

コーン・サラダ。

 

ポタージュスープ(温めるだけの物)

 

 

 

朝ごはんには、毎朝中津駅下車の後、

先輩と3人で、朝早くからオープンしている

 

 

とってもお洒落で、人気のパン屋さんに必ず立ち寄り

大体、3~4個の焼きたてパンを買って

 

 

美容室に到着後、珈琲を入れて皆で美味しく頂いてました。

 

珈琲には、たっぷりの砂糖を入れて飲んでましたね。

 

 

 

そして、昼ですが、

昼食専門に料理を作って頂けるお母さんみたいな優しい女性が

用意してくださいりました。

 

 

当時のメニューには、おかずが揚げ物メンイでした。

そして、カレーも良く食べていました。

 

 

その頃、とにかく何が原因かも分からないストレスにさいなまれていたので、

 

私は、毎晩のように悪夢にうなされてました。

悪夢は、寝言となって表出され続けていました。

 

 

その叫び声を、私以外の寮にいた誰もが聞いていたのです。

でも、私にはその内容が何故か自分の事なのにも関わらず、

 

 

全然分からなかったのです。

それでも毎朝、先輩たちが言うのです。

 

 

『昨日、ひどかったけど大丈夫?』

それでも、私は、何が何だか分かる事がありませんでした。

(※2011、6月迄は、苦しい時代を過ごしました。しかしそれ以降原因が判明しだし人生の転機になります。)

 

 

 

それでも・・・

当時の私には

 

 

 

毎夜・・。

 

 

オーナーは、女性で私の母親と同じ年齢でしたし、

オーナーのお子様は、離婚されて一緒に住んでいなかったので、

 

 

特に私は、可愛がられていたのです。

でも、私はそんな毎日なのに毎夜寝言でうなされていたのです。

 

 

(※現在は、原因が解明出来て来たので、うなされる事はなくなりました。

そのことについてもいつの時か、こちらや、メルマガで改善策を公開させて頂いて

私と、似たようなお悩みの方のお役に立てて行こうと予定中ですので、

温かい目で見守って頂けたら嬉しいです。)

 

 

私のストレスの原因とは?

一体なんだったのか?

 

当時15~6歳の少女には到底、

 

 

 

理解出来るはずもありませんでしたし、

分る術も知らなかったのです。

 

 

それでも私は、毎日を過ごしました。

ただ一つの楽しみに。

 

 

 

 

 

こんな生活を、毎日当たり前のように続けていました。

 

そんなある日、

私は、頭痛に悩み出します。

とにかく頭が痛いので何とかしようとするのでした。

 

 

15、6歳の女子が、

何とか頭を使って、何とかしようとした物が・・

 

 

当時大好きな娯楽の一つだったテレビから流れていた

と、あるお薬のCMでした。

 

 

 

 

考え着くのは、

『痛みを、取り去り平和になる事でした。』

 

 

そして、思いついたのが大阪の駅構内にあるドラッグ・ストアでしたね。

今でいう所の、マツモトキヨシ

 

 

早速、飲むこと30分後。

あんなに痛かったのが嘘のように消え去って行くのがはっきりと分かりました。

 

 

頭痛薬って効きますよね。

あの感覚は、なんていうのでしょう。

 

 

 

スッカーンと、晴れ渡る青空のような感覚とでも例えられるほどでした。

なので私は、理解したのです。

 

 

頭痛薬を飲めば、頭痛が治るのだと。

 

 

その後も、頭痛の時は、

頭痛薬を服用していました。

 

 

日常的に、日に3回と寝る前に。

 

 

更には、食生活の乱れから歯痛にも見舞われました。

けれども、歯医者に行くのが嫌な私はここでも頭痛薬に頼っていました。

 

 

そんな毎日も、普通に過ごしていました。

頭痛薬を飲んでいれば健康的だと思っていました。

 

 

なぜなら、誰も何も注意もしない自由と、

痛みが感じられない時間が手に入ったから。

 

 

そんな生活が、約2、3年続いたある夜中の事。

私は、突然の腹部の激痛に見舞われました。

 

 

「痛いーーーっ」

「助けてーーーっ」

 

 

寮の一室で、先輩やオーナーに連れられて行ったのか?

どうやって辿り着いたのかも、分からないほどの痛みで、

 

 

気づけば即、入院。

翌日には、全身麻酔で4時間に及ぶ手術が行われ、

 

 

家族や、先輩が、病室に駆け付けてくれました。

 

 

病名は虫垂炎の炎症による腹膜炎で、

当時、大阪にある服部病院で私の身体から取り出された虫垂炎の腹膜炎が、

 

 

アルコール漬けにされて保管されていると聞きました。

大きかったそうです。

(※私は見ていないのです。)

 

 

服部病院では、2回の手術が、1か月半の間に行われました。

1度目の術後経過が思わしくなかったのです。

 

 

お腹の中に膿が出来始めてしまった事により、

お腹に、合計4本のカテーテル(長いストロー状の物で体内の膿を排泄させる役割だと思う。) 

を設置する事態になったのです。

 

 

これで、治ると考えた私でしたが、

熱発が続き、なかなか下がらない熱に苦しみました。

 

 

そこで注入されたのが解熱剤でした。

これを、肛門から看護婦さんに入れて頂きましたが、

 

 

もうこの世の果てのようでした。

熱は一旦は下がりましたが、又薬が切れた途端熱にうなされました。

 

 

永遠に続いたようにも思えた地獄のような日々も、

やっとの事で、熱も下がって来ました。

 

 

術後の抜糸も無事終わり、

退院の日も近づいて来たある日。

 

 

看護婦さんや、先生が私にこんな話をして下さりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

これを、聞いた時はよく分からなかったけれど、

怖かったのを、今でも覚えています。

 

 

死にたくない!

本当に思いました。

 

 

私は、それからベッドから出るようになりました。

2回の術後でしたのでお腹は常に激痛が走りまくるのでしたが、

 

 

死にたくなかったから、

とにかく動き回りました。

 

 

ベットから起き上がるにも激痛でも、

命がけでしたので起き上がりました。

 

 

隣の部屋に入院されていた私と似たような年代の患者さんが、

術後、痛みから起き上がる事がなく亡くなられたという話を聞かされた時は、

 

 

背筋が震えました。

 

 

長い内容でしたが、今日はここ迄で終わらせて頂きます。

最後まで、お読み頂きまして誠にありがとうございました。

 

 

 

今では、毎日、薬にも頼らず。

アイスも、遠ざかり口にする機会もほぼなくなり。

 

 

たまに頂くくらい。

 

 

口にするのは天然の自然な食事を厳選する努力の日々。

あんなに毎夜、うなされていた寝言からもほぼ解放されるメンタルを、

 

造り上げるに至り、

私と似たような問題にお悩みの方の、お力になるのではないかと、

経験談を、記事で配信中。

 

 

 

ゆっくりペースで、改善して行けば必ず夜は明け明るい日差しを目に出来る。

私が、この身で経験した全てが必ずあなたや、あなたの大事な誰かの役に立てるなら。

 

少しでも、あなたの勇気や、少しの希望に繋がるよう。

私は、生きて行くのが幸せなのです。

 

 

 

心理養成講師の松本幸子(しあこ)でした。

 

 

 

 

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人生に悩んだら、これで明日を共に生きよう。