明かな、差


みなさんこんばんは。
心理養成講師の松本幸子です。



何かを嬉しいと感じることは本当にしあわせ。

それがどんな小さな出来事だとしても。



それはとても些細で、見失いやすくて
儚いもの。




大きな物にすぐにさえぎられてしまうもの。

でも、些細で見えずらい物のことを、一番大事にする。




誰にも必ずある。
どんなに些細な出来事にもあるすごく素敵なもの。



それを、感じれることは本当に素敵で大事。




今夜は、また一段と冷え込みますね。
今夜も、些細な楽しみを、みなさんにお届けにきました。








インターネットの世界で一番多い考え方は何かと考えてみた。

一番多く、毎日、来る日も来る日も目にしたり、

耳に入ったりしてくる情報の中。


一番多く、頻繁に入り込んで来るもの。

それは、ネガティブなニュース。

誰かの誹謗中傷。

アンチコメント。



それらの情報だと感じる。



PCを、開けた途端に無造作に、しかも猛スピードで

私たちの脳をジャックしに来るように私はいつも感じている。



それは、選ぶも、どうかも決める余地も与えないほどの素早さ。

一日中、働いて家に帰り着いて一息いれたい時も、

移動中、密になる時も、

一人でいる時も、



どんな時も、ひとたびPCを開けると、そこには

知らない世界はない。




でも、その無限に見える世界で一番多く感じるのが

冒頭に書いたような、マイナスな世界が未だに存在しているという現実。





もちろんそうでない世界もある。

しかし、まだまだその数は少ない。




私が書いているのは、少ない方の数。

かき消され、姿などないような世界のことを、書いている。



しかし、本当に楽しい時間を過ごせるのはこちらである。

昔、あちらの世界にいた私が言うのだからこれは自由。


「私は、間違いなくこちら側の方が、たのしいと思うし、

今から、あちら側の世界に行きたいですか?と聞かれたら?」


間違いなくノーと言う。




「それぐらいたのしいのだ」




では、なぜこんなにこちら側の世界がたのしくなったのか徐々に書いていきます。


人は寒さには冷えを感じます。

寒いのは、体温を下げるから、寒いと感じる。


昔、どん底のころ、

極寒、環境にいました。

でも、私は、それが当たり前で、

わりと好きでした。





でも、初めてその環境に来た人は言いました。

「寒すぎで、ここにいると行動意欲がなくなる」



私は、これを聞いた時、

まだ分かりませんでした。



自分と、その人の差が、




私のこの環境を、この人はあまり良く感じていないようだ。

とは少し分かりましたが、




その人は、ぶくぶくに膨れ上がった肉体を常に温かい環境で埋め尽くし、

寒さから遠く離れた暖かな環境にいつも身を置いていました。




私には、特にそれがどちらでも良かったのです。

私が、その人の家に行くとそこは暖かな環境。



私は、その環境に入っても、

その人のような事をいう事はありませんでした。


そのことに今、気が付いたのです。




自分が今、どんな環境にいても、文句なくこれは自分が好きで選んだ道だと

分かっているからです。




極寒を、です。



始まりは、私もぬくぬくの環境にいました。

何不自由ない、全てが完璧にそろえられている。



何かが足りない。

又、何かがなくなりそうだ。





それを発見したら、速攻で買いに走る。

ドア・ツー・ドア。



熱かったら、涼しい環境を、

寒いなら、暖かな環境を、



当たり前のように確保してくれる人がいましたので、

それが、当たり前でした。




でも、そんな環境で、私の身体はどこか健康とはかけ離れていて

睡眠中、無呼吸になり、息が出来なくなって

本気でこのまま死ぬな・・。




そんな経験や、

原因不明と言われた、だるさや、無気力。




今では、信じれないような症状に真剣に医療頼りの日常。

お金さえあれば、なんとかなってしまう。




そんな世界にいました。




そんなある日、自分がなんだかとってもおかしいことに気が付き、

それから、数年後、




いろいろあって、極寒の部屋でも本当にたのしい日常になっていたんです。


自分でも、思わず笑ってしまうほどのたのしさなので、

当時の苦しさが、本当にウソのようにさえ感じられる。




そんな極寒のころの経験は、今でも私に中に

やっぱり、たのしい経験として鮮明で、



今年のこの寒さを、迎えています。


その中で、こんなことを思ったのです。



私の今住んでいる部屋は、常に極寒で、

外の方が、温かいような地面からの寒気がバンバン上がってくる

築27年のアパート。



暖房をつけると部屋は暖かい。

そこで食事を作る時、鍋に湯を沸かす。

その時、こんなことがありました。





極寒の部屋で、鍋の湯が沸騰すると、

その湯気は、まっ白です。




湯気の動きが見えるのです。


あんなにはっきり見えたのは生まれて初めてでした。


その時のメニューは、鍋に白菜を刻んで、お豆腐を入れた

シンプルなメニュー。




寒さもあり、一刻も早く温まりたかった。




冷蔵庫の中にいるようなお部屋で、上がる湯気は

まるで渦巻のような動きを、してた。




上空には寒気、(冷蔵庫にいるような部屋)

下界には暖気。(鍋メニュー)




下界に例えた鍋が、大地に思えてきて、

上空の寒気が、大空に思えてきた私は、




こんなことを、考えていました。



地球は、火山がある。

地球は、熱い。

私たちは、その上で暮らしている。




いえ、行かされている。

でも、今、その熱さは抑えられて





抑えられたエネルギーたちは、どこでこの湯気のように

出るのだろう?




「少なくないですか?」

「便利でいいんだけど、完璧に地べた塗りつぶされてる」




鍋の湯気を見てると思うのです。




人間のお肌なら、どうだ?

身体なら、どうだろう?





何かで塗りつぶしてたあの頃の私が思うわけです。


暇さえあれば、メイクぬりぬり。

たのしくて、やめられなかった。




いいんですが、

肌が、息してないようだった。



塗るの辞めたら、楽になった。

その後に、使う商品を見直しだした。




最初は、こんなことからだった。





肌は、汗をかくことで毛穴の汚れを排泄してる。

排泄が追い付いていれば、お肌は生き生きする。




土台が割れるのは、息苦しいからだと実感。



カサカサ。


でも内側が熱い時、表面はいい感じ。




私は、思うわけです。


何かに夢中になっている時、温かい。


それは誰といても。

どんなに上手くいってなくても。



どんな集団の中でも。





人はつるむものなので、

今、密が、言われていますが、






私は思うんです。


集団になるとなるほど、


同じ空気になる。


動かない空気。

変わらない空気。




やがて、その空気が当たり前となる。




あの頃、私は、そんな空気がなんだかとっても、

息苦しく感じていたんだ。



でも今、無呼吸も、何もかもから永遠に離れられた距離に来た。




極寒の部屋は、本当に寒いけどたのしい。

人には、やはり、不思議な話に聞こえるだろう。





しかし、

これは、現実です。









そんなたのしい毎日はこうして作りました

その作り上げた物は、やがて踏ん張るチカラになるので、

生涯保てる踏ん張り力になる。




それが



こちらです。
https://siako.hatenablog.com/entry/2019/10/15/142127




では、またお会いしましょう。
ありがとうございました。








心理養成講師

松本幸子

〒438-0811
静岡県磐田市一言3245グリーンヒルズC-101
電話 080-7003ー5032







踏ん張れる講座も行ってます
https://happiko.thebase.in/items/34016045