この言葉から始まった

 

みなさん今日も一日ありがとうございます。

心理養成講師の松本幸子です。

 

 

何かを嬉しいと感じることはなかなか味わえないからこそ

それは、本当に大事にしたいと思う。

 

 

それがどんな小さな出来事だとしても。

 

 

誰にでも、どこにでも必ずある。

 

 

 

どんなに些細な出来事でもすごく素敵。

些細なら些細なほど素敵。

 

 

そういうことを、

感じれることは本当に大事。

 

 

今夜も冷え込みますが、

今宵も、些細で小さな楽しみを、みなさんにお届けにきました。

 

 

2021年も、スタートして12日目。

あと3日で、2021年最初の満月を祝う小正月だそうです。

 

 

そして、私はしないんですが、

 

 

2021年の健康を祈って小豆粥を食べ、

どんど焼きと呼ばれてる小正月に行われる火祭りで、

 

 

お正月の門松やお飾りなどを、

持ち寄って焼くそうです。

 

 

でも、来年はこういうのもいいかもしれないなぁと思います。

 

 

さていつも、私は何かと言われたりするわけです。

これは、仕方がないとあきらめました。

 

 

前までは、何かを言う人に対して何とかならないかな?

と思っていました。

 

 

今も、少しありますが

そう思うのは、こういう思いがあるからです。

 

 

私が勝手に思っているだけのことです。

別に、言われるのが嫌って言うのではなく。

 

 

そうなんですが、そうじゃないのです。

言われるのなら、いいんです。

 

 

うん、そうじゃないんですけど。

 

 

そうなんです。

 

 

私の言いたいのは、言ってる人の魂のこと思っているのです。

 

 

普通は嫌だと思うのだけど、

そうなんです。

 

 

 

それには理由があります。

まず第一に、誰かに対して何かを言うのって、

 

 

その時点で、体温が下がりだすことが分かりました。

少し前のことなのですが

 

 

いつものように私は日常の中でWIN・WIN表を、

 

 

 

 

WIN・WINしたい。

 

 

でもなかなかだから

これを、使って自分を助けて、助けて。

 

 

 

 

実践していました。

 

 

その日も、ある人達に意地悪されながら

ある場所で、ある人に寄り添い行ってたのです。

 

 

その時の、私の手の温かさを、確認してみて

分かったのです。

 

 

いつもは、今の時期くらいなら

私の手はとても冷たいのですが、

 

 

その時、

ホッカホカだったんです。

 

 

その時、思いました。

この暖かさは、気持ちから来ている。

 

 

その時、その方に寄り添っている私は

それ以外の人からは、意地悪されていました。

 

 

些細な何かの違いを、ああだ、こうだと言う人はどこにでもいる。

その時、私の胸はひんやりと冷え切っていました。

 

 

「また、きた」

そう思いました。

 

 

 

でも、実験してみる価値はあると思っていて

これまで長い間、試しに試してきて。

 

 

ここ、温かい。

 

 

そう思ったのです。

 

 

その人に寄り添いだした時のその方の手を、

触らせていただいたのです。

 

 

その時、その方の手はさっきとは逆に

温かかったのです。

 

 

それから、約40分ほどです。

私は、その人とお話をしました。

 

 

内容は他愛もない内容です。

でも、私の内面(頭の中というか、ハート)ではこれを使い倒していたのです。

 

 

 

 

ここに初めていらっしゃった方も見れます。

(無料です)

 

 

 

見ないでも感覚で感じれるようになるまでになる迄、

私は、数十年かかりました。

その方法を、今、無料で公開しています。

 

 

 

 

これを、ああだ、こうだと嫌な事を、

言われる時、

 

 

「うーん、嫌だなぁ」や、

「ううう・・・」や

「痛いよ・・」等の気持ちに

なるわけです。

 

 

その時の、そのままの気持ちを、

私は、ピンチだと考えています。

 

 

 

そして、大体の場合ピンチに出会ってしまうことが、

とっても嫌な時間だと思うんです。

 

 

だって、そんなの当たり前なんです。

だから、どんな職場でもそれが本当に嫌に感じる人が出るのなんて

当たり前なこと。

 

 

おかしいと思うのです。

 

 

本当に伝えたいのが、なぜだかお互いの気持ちの差だけで

ぜんぜん上手くいかない環境。

 

 

それで、お互いに争いみたいに空気が変わっていて、

そんなの何の解決にもなってない。

 

 

でも、そんな現場なら。

 

 

辞めて正解だと思うのも当たり前。

でも、どこに行っても同じだと言われていたり。

 

 

だけど、どこに行ってもどこも同じなんかではなかったと

私はおもう。

 

 

「どこに行っても違うと言える」

 

 

それは、どこに行っても同じと言ってるのは誰だろう?

分からない。

 

 

いつ、どこで、この言葉が生れてきたのだろう?

知らないけれど、よく人が言う言葉みたいで、

 

 

私の頭にあったことに気がついたのです。

なら、私の気持ちなのだろうか?

 

 

自分に聞いてみると・・

答は、こうでした。

 

 

「違うよ」

「私は、いつも違うよ」

だったんです。

 

 

いつも違うということは、いつも同じではないということですが、

考えが定まらないとかではないんです。

 

 

そしていつも、同じというのもあるんです。

同じ物は、あるんです。

 

 

何が言いたいのかと言うと、

両方あるという事です。

 

 

どこに行っても同じだし、違う。

両方なんです。

 

 

でも、私のことをなんだ、かんだ言う人は

どちらかではいけない。

 

また、そうでなければいけない。

だから、今、そんな事をしている私がいけない。

 

 

「間違えている」

決めつけてくるわけです。

 

 

いえね、いいんです。

悪いと言っているのではなく。

 

 

その人の体温のことを、思うとそこにこだわって

私を、叩くより先に先ず理由聞いたら体温上がるのになぁ・・。

 

 

「もったいねーッ」

 

だって今こそ、免疫力アップです。

この気温の中、社会情勢はコロナ。

 

 

医療機関はすでに崩壊。

本当に緊迫している。

 

 

 

免疫力を上げるには、ある程度の体温がなければ

冷えていてはそれだけで、少しダウン。

 

 

そんな時期、気持ちは大事。

特に、叩かれた時。

 

 

本当はこんな時こそ、

お互いに助け合いをして人材確保が第一。

 

 

既に、叩きあいなどしてても・・・。

本当に、体温下げることになること。

 

 

叩かれたら、これを読むと

体温上がった。

 

 

 

 

 

もしも世界中の人が自分の体温を、自分で温められたなら・・・

わずかだけど免疫力上がる。

 

 

体温が1度上がると、免疫力は(基礎代謝)

なんと約12%上がるそうです。

(未来型スパエステ サリスパ(SARISUPA)のブログ様より)

 

魔女狩りしているような場合ではないね。

私たちは、否定的な言葉なんて聞きたくないのです。

 

 

温かい気持ちでいたいのです。

 

 

だって嫌っていう感情を、ほっとくと

いつしかカタチを変え悪魔みたいになってしまう。

 

 

それを、私は散々見てきた。

 

 

そして、その場、その場で出会ってきた彼等が

口をそろえて、私に言うのでした。

 

 

「どうして、こうなってしまったのでしょう」

 

しかし、そう思った時には余りにも老いていて

遅すぎる。

 

 

しかし、今ならまだ・・・

可能性がある。

 

 

あの日の私もそうだった。

 

それは、この言葉からだった。

「ごめんなさい」

 

 

 

きょうは、ここまでです。

また、お会いしましょう。

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

松本幸子
〒438-0811

静岡県磐田市一言3245グリーンヒルズCー101

080-7003-5032

bigtreegod@gmail.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宣伝

 

最悪でも、これさえあるなら行ける。

可愛い妖怪雨傘ちゃんと、はなちゃんが、

夢の世界に、エスコートしてくれる。