そこから見える景色から、学べる事がある。

 

 

 

みなさん、お元気ですか?

心理養成講師の松本です。

 

 

 

私は、ある日

名古屋の駅に行きました。

 

 

きょうは、その景色から見た自分の世界のお話をしたいと思います。

 

 

名古屋の駅で少しだけ歩いた時、

 

あらゆる建物は全部素敵に見えた。

そして同時に、名古屋の建物は全部

 

 

誰かの夢が、詰まっている。

 

 

そこには必ず、

誰かの人生がある。

 

 

そこには必ず、意味がある。

必ず、誰かにとっての意味がある。

 

 

そこには必ず、誰かの幸せを願う思いが詰まっている。

そこに訪れた客人が、笑顔で時間を過ごして頂けるように、

 

 

連日連夜、血のにじむような努力をされている。

 

そこに、その建物が存在しているという事は

そこを、訪れる全ての客人が、

 

 

苦しい日常を、ほんのひと時でも忘れ去れる事が出来る様に

日夜、研究されている。

 

 

ありと、あらゆる店舗が所狭しと立ち並ぶ。

 

飲み屋に、エステ・サロン、麻雀店、ゲーム・センター、

洋服店、高級なカバン店、時計店、ブランドのお店、

 

飲食店、靴の店、アクセサリー・ショップ、

チケット売り場、宝くじ売り場、等。

 

 

人生の中で、一体どれくらいの時間をこの場所で過ごすのだろう?

そんな事を、一人で考えていました。

 

 

私は、その当時も、静岡県に住んでいて、

 

 

一年のほとんどを、この場所で過ごしたいと考えているほど

この場所が、好きです。

 

 

それでも、年に何回も行くわけではない場所が世界には

存在する事は、当たり前なのですが。

 

 

人間の、環境に適応出来る時間には、

限界があるのだと思っています。

 

 

人間は、産まれてからその命を全うする迄という時間があります。

 

 

仮に、100歳迄生きました。として、

その100年の時間の中

 

 

どの位の時間、名古屋にいるのだろう?

 

 

私は、自分の住んでいる場所があります。

そんな自分の人生の中、

 

 

名古屋にいる時間は、

私の人生において

 

 

よほど名古屋に、行く理由の無い限り。

あり得ない事です。

 

 

でも、名古屋に在住されておられる方々からしたら

静岡県と言う土地も、そのように見える可能性もあるかも

しれないのです。

 

 

例えのお話なのです。

 

 

自然の多い環境に、身を置き続ける人生と、

街中で、ビルが立ち並ぶ世界に身を置き続ける人生と、

 

 

100年生きるとして、

どちらの方を、選びますか?

 

 

この選択は、周りの環境に、左右されるので

とても重大な問題です。

 

 

どちらも必要だからです。

どちらも無くては、ならないからです。

 

 

 

しかし、周りの環境に左右され続けた結果

私達の、中で何かが変わる事もある事を

 

 

私達は、心のどこかで、なんとなく知っています。

 

 

都会に、はびこる薄汚れた空気を、

都会に吹く、爽やかな風が、一気に吹き消す事も

 

 

私達は、心のどこかで、知っています。

 

 

だから、自然から離れてしまうと、

病に陥る事も、心のどこかで、知っているのかもしれません。

 

 

 

だから、私たちは、お互いを助け合いながら

毎日を、幸せに過ごそうと努力しています。

 

 

けれど、一度でも闇に目を向けてみる事で

私達は、未来への希望さえ押し流されそうになる。

 

 

だから、必死に何かにしがみついて今日も

生きています。

 

 

 

人生のいつ頃から、

私達は、何かを持ち出したのでしょう?

 

 

私は、あの日。

一人で、名古屋の街を歩きながらそんな事を

考えていました。

 

 

食べ物を、道具を使っていつから自分の手で

食べだしたのかな?と・・

 

 

いつから、私は、タバコを吸い出して

いつ、私は、タバコを手放したのか?と・・

 

 

いつから、私は、あのおばちゃんの顔を見る度に、

泣き声を上げるようになったのか?と・・

 

 

いつから、私は、あの炭酸飲料を好んで買うように

なったのか?と・・

 

そして、いつから私はあの炭酸飲料を

手放したのか?と・・

 

 

いつから、私は黒電話を手にし始めたのか?と、

そして、いつ私は黒電話を、手放したのか?と・・

 

 

私は、いつから、こんな気持ちを持っていたのか?と、

そして、いつ頃、私は前のように暗い赴き顔を手放したのか?と・・

 

 

それを、考えていたのです。

 

 

最初は、全部無かったんだという事も考えていました。

そして、私たちが、この世から去る時。

 

 

私達は、産まれた時と同じように何も持てなくなるのだとも

考えていました。

 

 

私達の人生とは、まるで儚いものだと考えていました。

 

 

けれど、儚さがあるから美しいと思えるのです。

 

 

人間は、人生のどこで、何があるのかが分かりません。

 

でも、それは自分の人生を他人任せにしている人の台詞かも

しれないと思うのです。

 

 

自分の人生を、本気に生きようとした時。

人は、一秒を生き死にで考えるのです。

 

 

そこには、迷いも、怒りも、欲も消え去っていて

静寂だけが静かに漂っています。

 

 

まるで、小川のせせらぎのようです。

まるで、草原に吹く秋の涼し気な風のようです。

まるで、良く晴れた朝の陽ざしのようです。

 

 

とても心地がよいのです。

心身に、喜びが溢れ

 

 

一日中、至福なのです。

 

 

人間が、そうした状態を、維持出来るのです。

 

 

人は、産まれて来た時

そうした状態でした。

 

 

何も持たない

無垢な状態でした。

 

 

その肉体の中には輝く物を抱えていました。

その事は、気を付けて見なければ・・

 

 

すぐに、見失ってしまうでしょう。

 

 

やがて、いつ見失ったのかも分からなくなる迄・・

探す事など、あきらめている事さえ

 

 

気が、付かない間に人生が幕を引く準備が始まる頃。

 

「どうしよう・・」と考えても

何とかなるかもしれませんが、

 

 

何とか出来るのは、

この世界では、医療です。

 

 

現れて来た時が潮時です。

私が、そうですのでよく分かります。

 

 

私は、昔からなんでも隠せない性格でした。

嘘が、付けないのです。

 

 

なので、内面の闇は、外見に現れたのであると考えています。

 

 

隠し事が出来ないから、

向き合っているのでしたが、

 

 

向き合い方を、間違えたと言う合図が

私の、外見に現れたのです。

 

 

 

原因を、深堀していくと自ずと原因が判明しました。

確定、ほぼ確定の領域です。

 

 

そこから、修正に入りました。

昨日の事のようにも思えますが、

 

実は、だいぶ前から感じてはいたのです。

 

 

でも、感じた時点で言葉に出来ませんでした。

正直、怖かったのでした。

 

 

それでも、このミスを誰かのお役に立てたいし、

その上で、自分の顔面からコブがなくなる姿を見たいし。

 

見れると、信じています。

 

 

その為に、今があるのです。

 

 

今、これ迄、私が手にしていた全ての物が

価値を無くしだしたのです。

 

 

変わりに、今、私の手に無い物に

脚光が当たり出しているのが、

 

 

鮮明に確認出来る訳です。

それ自体は、この目にも見えません、

 

 

感じられるのです。

 

 

あの日、歩いていた町中のどこにも無いし

見当たらない物が、今、私の中にはあります。

 

 

 

あの場所でも、私が、そこに行く事でそれは

私の中に存在しているのです。

 

 

そこにお金は、必要でなくなる訳です。

 

 

 

つまり、様々な出来事や環境が人を造り上げてくれるのだ。

と言う事です。

 

 

 

それは、誰の中にでも存在しているのだという事です。

その、場所ではなく。

 

 

その、物を私は、創り出そうとしています。

そういう人を、世の中に増やしていきたいのです。

 

 

その場限りの、人生のような簡易的な世の中より。

少し不器用ぐらいで、いいと感じれる世の中。

 

 

そんな場所を創り出せるのは、

環境の力ではなく、人の力だからです。

 

 

それが、場所になるのです。

 

 

楽しみのある人生の方が、いいですもんね。

 

 

知らず、知らずの内に抱いてしまっていた物たちって、

いつからかが、分かりさえすれば。

 

 

手放せるのですから。

 

 

始まりが必ずあるのなら、

終わらせればいい。

 

 

そしたら新しい何かが欲しくなってくる。

そう感じます。

 

 

それが、真の自分であり。

自分に沿う事だと感じます。

 

 

そこから、生きる意味が変わってくると感じます。

 

 

それは、これ迄、知らず知らずの内に抱え込んでいた何かを

少しづつ解き放つことだと感じます。

 

 

そして、それこそが真の自由であると思います。

 

 

些細な、決めつけや

少しの、コリが、道を塞ぎに来たとしても。

 

 

柔らかい心で、溶かしてあげれるなら、

人生の時間は、有意義な時間へシフトするはず。

 

 

人生の時間は短いと言われるけれど、

それは、時間の価値を上げた時。

 

そうではない事に、必ず気が付くはず。

 

 

人間は、何かが無ければ本当に気が付かないものです。

私が、そうだからよく分かります。

 

 

これは、私の隣の人でも気が付かない事です。

私は、今、全ての事を自分の課題として見たいから、

 

 

何があっても幸運であると考えられる。

結果を生み出す事が、思考出来る。

 

 

これは本当に幸運であると考えるのです。

 

 

しかし、どんな近くにいても。

赤の他人様は、分かりません。

 

 

人間の不思議です。

 

 

自分が、分かっているから。

隣の人も、分かっている。とは限らない。

 

 

それほどまでに、人間は複雑。

 

 

グーグー寝息を立てているだろう。

ウサギと亀のようなものです。

 

 

そのエネルギーを、

そろそろ、使いたくなってきた頃ではありませんか?

 

 

ほんの些細なことです。

 

こんなエネルギーを、貴方の外側に使っている時間なんて・・

 

もったいないですよ。

 

 

貴方の、エネルギー・レベルは、非常に高く大きく強い。

 

 

 

普通の人の万倍あるのですから。

 

 

 

 

 

・・・・・

 

 

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・お客様のお声
「最初の頃、壁に猫が張り付いて見えましたが、
時間が経過するごとに、子猫がこちらを覗いているように見え、
又、しばらくすると子猫ちゃんが、餌をもらいにやって来たように見えた。」
(心理的な闇から、少しお日様が見えた瞬間に出逢えます。)

・昨年夏は、食欲減退気味でしたが、今年の夏、春口からの心温まるお声かけにより、
食べれるようになりました。(照れ笑い)

 

 

 

 

 

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