行動を、起こす事に対する対価

 

 


みなさんいつも本当にありがとうございます。
心理養成講師の松本幸子です。


今日、私は朝から首を寝違えました。
久しぶりの事だったので痛かったのですが、


そういう時は、無理をしないで
周りとの連絡もちゃんととりまして、
ゆっくりと静養に励んでいます。


休息を取り入れる事が、出来たので
今、だんだんと改善の方向に向かっています。


このまま行けば、夕方にはすっかり完治している事が自分で
分かりましたのでこうしてメルマガを書いています。



本日のテーマは、「行動を、起こす事に対する対価」です。



私が、魂磨きの道に入った頃には未だ、
手元にPCも、端末もない時代でした。



まだ、世間的にPCは、「怪しくて怖い物だ」という風潮があって
当時の私の周りの人たちは、ほぼほぼガラケーを、使用していました。



そんな中、私もガラケーを使っていました。
しばらくして、PCをテレビで販売している事を知りました。


その番組が、ジャパンネット・たかたさん。
迷わずに、買いました。



その当時でも、まだスマフォは持ってませんでした。
PCを、触るようになりだした頃チラホラと当時の私の目に止まり出したのが、



ハウエイという会社のスマフォでした。
即、買いました。



それからしばらくしてから、
今のようなスマフォが販売されている事を、知りだしました。



あの当時、私の周りにいた人たちは今、
誰一人もいません。



この事実を、私はとても良い事であると心の底から思っています。
魂の磨き込みを、始め出す事で得られるメリットは、


はっきり言葉では表現できないような価値のある物です。
なぜなら、目には映らないからです。



何かを、支払う事で欲しかった物が手に入る喜びを、
知っていた私は、最初思います。



「多分、これだ」
「今迄とは、違うから、そう感じる。」



感覚でしかありませんでした。
だから一人でやってました。



来る日も、来る日もです。
何をし続けたのかと言いますと、



言葉を、一旦出す前に、止めたのです。
言いたい事は、山ほどありましたが、


それを、一旦完全に止めてみたのです。



それは、毎日続きました。
今でも、続いています。



でも、何も言わないわけではないのです。
コミュニケーションは、ちゃんととっているので、
人間関係は、どんどん良い方向に向かっているのです。



言葉を、一旦止めるという物を、
私は、「一つの行動と、呼んでいます。」




行動の意味を、考えた時。
少し、違うような感覚が、あります。



行動を、調べてみますと、
「ある事を行うこと。行い。」と出ます。




貴方は、行動と言えばいったいどのような動きを思いつくでしょう

「何かを、目的の為に行う事」でしょうか?
「やるべき事を、目的の為にやる動き」のことでしょうか?



行動と聴くと、何かを、何かの為にしなければならない。ような感覚に
なる私です。



こう思うのは人間なら普通な事です。
人間には、本来そうした表面化されてはいませんが、


何かを、始める時には必ずその物に対する抵抗のような感覚を、
自然と作り出しているという働きがあるのです。




今迄の生き方は、貴方の人生です。
今迄、生きて来た生き方は、貴方そのもの。



誰にも何も言われたくなんてないですよね。
絶対に変えたくなんて、ないですよね。



それで当然なんです。
この感覚は、誰にでもありますので安心してくださいね。



感覚的な物を、何とかしようとしても人生は絶対に変えられません
例え、その何かの方法が確実に成果が上がりますよ。と言われたって、



私達は、それを行動にまで変えてみたい。とは思いません。
最初から、疑ってかかります。



私の場合、普通の人よりもその気持ちが巨大でした。
私の場合、普通ではない程に自分の人生について不確かな物に
対する何かが、見えていたのでそれがはっきりと出ていました。




それは、どんな所で出ていたのかと言いますと、

少しでも怪しいと、思った時点で疑う。
それは、自分の人生に関わる事になるか、ならないかの瀬戸際だからです。



感覚的にでしたが、目に映る物に何かを感じだした頃から、
目に見える物が信じられなくなっていたのです。



だから、人間である自分についてもっと何か凄い事が隠されていると感じたのです。
見えたり、聞こえたりする事を、吟味したいと言う欲求が沸き起こって来たのもこの頃です。



それは、自分と言う存在の事を、誰よりも自分で知る必要がある。のだと心のどこかで
感じていたのだと思います。




そこで私は「誰にも何も言わず、行動を、起こしたのです。」

「言葉を、出す事を、止める」と言う行動です。


ところが、

「言葉を出すことを止め続ける事で、周りから変人扱いされた。」
「言葉を、出す事を止める事で、他人の愚痴が本当に下らない事だと思って、
顔に出て、その人から距離を置かれた。」



当然な流れです。


しかし、対して、
「言葉を、止めた事で集まって来る人の顔が変わり出した。」と言う事もありました。

(※この些細な経験が、その後の結果への大きなモチベーションとなったのです。)





私の場合の行動は、言葉を出すことを止めた事です。
これを、行動と言っているのは、行動と言う考えとは、


普通、行動のイメージは、
それを、行動に起こさなければ、行動ではない。



と言った、思い込みがあるように感じ、
何かを起こす事は、確かに誰の目にも見える行動なので、


「認められる機会がある」


すると、評価が頂けるのでその後の励みにも繋がる。



すると、嬉しいのから、


やる気が出て来て、
それを、行う自分が好きになる。


それを、見ている人にも見えるので、
明確になるのでお互いにいい感じになれるのですが、



魂を磨く事に関しての行動と言うのは、視点が変わってくるので、
その反対に位置する訳です。



もちろん何かを良い事を、行動に起こす事は確かに素晴らしい事ですが、
「魂を磨く事は、人生を通じての、モチベーションにダイレクトに繋がる。」


という視点で、行動を考えた時、



少しだけ意味が変わり始めます。

魂を磨く事は、表には見えません。


誰の評価でもありません。
誰に認めてもらいたいと言う事では、ないのです。



魂磨きは、自分磨きなのです。




社会のトラブルに、出会った時。
行動が奏して良い結果が得られた。



そうした話はたくさんあります。


その話には、行動の対価に何を、求めているのか?を、
考えて行けば自ずと答えは、導き出されます。




社会での、求められている行動の対価にあげられる物。
「それはお金」や、「見える成果」や、その他様々な事ではないでしょうか?




【魂磨きで得られる成果は、それらの物ではありません。】

魂を、磨く事は、自分を磨く事と先ほど言いました。




魂磨きで、私が得たかった物は「お金ではありませんでした。」
魂磨きで、私が人生を通じて得たかった物。



それは、形ではなかったのです。



この思考にたどり着くまでに時間をかけて来たのです。
この為だけに、言葉を止めたのです。



言葉を、止めるという、行動は、
引き算を、しているような感覚と言えばいいのでしょう。



また、彫刻をしているような作家のような心境と言ってもいいでしょう。
彫刻をした経験は、ありますが、どんな物を造り上げたいのかを、


「決めるのは自分」です。


そして、元の原材料を、何にしようかを、


「決めるのも、自分です。」



魂磨きは、そのような感覚に近い物です。

【創造性を、かき立て自分の意志で行う行動なのです。】



でも、誰の目にも止まる事がないのです。



しかし、必ず結果は形として私の目に確実に姿を映し出しました。
ある日突然に。です。



最後まで、お読み頂きまして本当に
ありがとうございました。





「すべては正解。
真理はひとつ」の名の元に配信中です。





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