目標は、あっという間に何かにすり替えられているもの。

 

 

 

 

みなさんいつも本当にありがとうございます。

心理養成講師の松本幸子です。

 

 

もうまぐまぐはお読み頂けましたか?

無料で誰でも読めます。

 

 

最近、私は以前までよく飲んでいましたプロテイン摂取をやめています。

 

 

私、筋肉付けたくて

パルク北村さんという、ボディビルダーさんのYouTubeを、見せて頂いた時、

 

 

 

でかいけど自然な筋肉を、とても綺麗だなぁと思ったのです。

 

 

きっと食事にも、気を付けているのでしょう。

その当時のYouTubeで、パルク北村さんは、

 

 

「日常の食事から、プロテインを摂取している。」と、

おっしゃっていました。

 

 

私は、それ迄甘いプロテインを好んで頂いてたのですが、

トイレの時、フレーバーの匂いが気になりだしていたのです。

 

 

そして、多分自分は摂取過多なんだと考え、

 

 

最近プロテイン摂取を一時的に中断しています。

代わりに、パルク北村さんが、あの当時におっしゃっていた。

「日常の食事で、プロテインを摂取している。」を、実践しています。

 

 

すると気になっていた、尿のフレーバー臭も、

消えて本来の臭になりつつあります。

 

 

 

私がプロテインを摂取している目的は、

筋肉を、つけたいから。であって、

 

 

甘味を、味わう為ではなかったはずなのですが、

甘味に気をとられていたので、

 

 

一石二鳥を、狙っていたのです。

なんでもそうですが、

 

 

目標は、あっという間に何かにすり替えられているもの。

だと思いました。

 

 

 

さて、今日のテーマは

「目標は、あっという間に何かにすり替えられているもの。」です。

 

 

貴方は、自分の目標に正直ですか?

私は、正直ではなかったです。

 

 

この国は本当に自由な国。

誰にも何をしても、何も言えない人権という法律があります。

 

 

この国にいる時、私たちは人権によって守られています。

そして自由を、約束されています。

 

 

どこで何をしていても誰も何も言えないのです。

では、そんな自由な国に住む私たちですが、

 

 

なぜか?悩みがあります。

また、その悩みから解放されるには、

 

 

一体どのような事を、したらいいのでしょうか?

 

 

すごく平和な時間の中、浮き上がりだした悩み対処法。

 

一人でいると好きに使える時間でも、

一歩社会に出ると、そこには他人様がいる。

 

 

一人の時は、たのしいのですが、

他人と居る時、ストレスを感じる。

 

 

これが、

すごく平和な時間の中、浮き上がりだした悩み

の、答えです。

 

 

 

では、一体どうやったらいいのでしょうか?

私の経験値から、きょうはお伝えさせて頂きたいと思います

 

私は、今、一人で社会にも、属していますし、

 

 

こうして記事を書いたりもしますし、

心理養成講師の松本幸子としての活動も、しています。

 

 

最近の、メルマガでは、魂磨きについての記事があります。

その理由には、本気で人生を楽しみたい方に魂磨きの素晴らしい時間の過ごし方を、

 

お伝えする為です。

 

 

 

すごく平和な時間の中、浮き上がりだした悩みには、

 

 

目標に向おうと決意した直後、必ず背後から追ってくる影の存在

(他人の目線)があると考えています。

 

 

この他人の目線というものですが、

実際には、誰も、何も、見ているわけではありません。

 

 

そして、誰も、何も、貴方や、私を否定しているわけではないわけなのです。

でも、なぜだか、感じてしまう事が、あると考えています。

 

 

ここが、非常に

私の経験の中でも一番、わずらわしさを感じずにはいれない部分でした。

 

 

それを、今日は解明していきたいと思います。

 

 

まず、一番に、

「個人が集団で、何かを始めようとすることを、多くの人は嫌がります。」

私は、この経験を、全部、この身と心で受けてきました。

 

 

 

けれども、この経験値が今の私の財産で、

その理由を、こうして公開する事が出来るので本当に嬉しく感じています。

 

 

その原因ですが、

まず、集団の中で何かを始める事になる訳ですが、

 

 

その時、必ずと言って良いほど大きな抵抗にあう事になります。

集団に属している時間、濃さ、関係性等は、

 

 

集団にとっても、個人にとっても大事な大事な財産ですので、

財産を、崩されるような感覚と、表現しても良いほどだと言える事になります。

 

 

集団の中で、一人。

何かを始めるという事は、

 

 

「ボスからしたら、許されない事です。」

でも、個人からしたら、

 

 

「違う訳です。」

 

 

当然ですが、双方のずれが生じる訳です。

説明しても、仕切れないからですが、

 

 

そういう時こそ、

このブログが、役立つのです。

 

双方の立場に立ちながら、

個人の成長を、遂げれるからです。

 

 

それは集団を、どうこうしようという空気造りではないからです。

 

 

個人で行う時、

その内面に浮き上がる物の問題と、なって来ます。

 

 

どのような立場に居る方でも、まず真っ先に思う事が、

恐怖という集団に感じる恐れ。

 

 

それは、私が日毎感じて来た感覚であって、

でも、私は自分の恐怖という気持ちを多分ですが、

 

 

世界一、好きになりました。。

世界一、好きになって惚れ込んでしまったのです。

 

 

しかし、ここには何段階かの訓練が必要になってくるのです。

なぜなら、普通に恐怖を、好きで、惚れ込んでしまった。と、聞けば、

 

 

「おかしい人だと思われておしまいだからです。」

 

でも、そうではないのです。

 

 

ほんの一部なのです。

しかし、必ず通過しなければその先には行けないのです。

 

 

「コツが必要なのです。」

 

 

しかし、ここを通過するも、しないも自由なのです。

 

 

 

境目なのです。

何か、目標を決めるという気持ちを、

誰よりも、大事に扱うのが私は一番好きです。

 

 

目標にも種類が、ありますがここでは魂磨きだけに特化しています。

私が、人生を、本気で生きようとする時必ず毎回、

 

 

多くの大事な物を一旦失うような感覚を、味わいました。

その度に、押し込められるような息苦しさ等もありましたが、

 

 

やっぱり、そんな時に私を助け出し又、次の日にも同じ集団の中に入り込んで行ける

気持ちを、創り出してくれたのも私の創った記事でした。

 

 

これが、そうです。

 

 

最初は、目的に、特別な何かという決まりはなかったのです。

でも、その場所じゃない何処かに何かがある。

 

 

そう感じていた私は毎日、何があろうとも気持ちを途切れさせる事がありませんでした。

 

 

何か、集団で行動を変えようとしだすと途端に何かの抵抗があったのは、

ある、理由からです。

 

 

それは、周りには利己主義だと思われている。(自分さえ良ければいいとおもっている。と思われ、言われていました。)

でも、実際には心という、魂からの、真の自由になりたいだけであって、それ以上でも、以下でもなかったのです。

 

 

この違いは、今迄なかなか気が付かないでいました。

 

 

集団の中で何かを始めた頃の私の場合、

 

 

周りは、日頃の習慣から出来上がっています。

 

私は、集団の中に居ても、いいえ、集団の中で自分を変える以外に、

「生きなおし、という魂磨き」が、出来ないのだと考えていたのです。

 

 

私は、日頃の行動からは見えない物に取り組みだしたのです。

それでも、集団の中では何か形が見えない物を怖がられているような感覚でした。

 

 

今になって思いますが、

それは当然でした。

 

 

形のない物を、集団の中、一人で必死に信じ抜こうとしていたからです。

その時の、心境はこうです。

 

 

「お金では、ない物が必ずあるような気がする。」

こんな事を、他人は考えるのか?

 

 

 

分かりませんが。

私は、一人そう思っていました。

 

 

 

だから、他人からは何か怖くて、変な人に見えるのは当然です。が、

「魂磨きは、自分から自由になれる唯一の方法。」

 

 

この事を、私は自分の数えきれない程の経験から理解し、

魂を磨き続ける事による真の自由を、手にしたのです。

 

 

でも、当時は手に入れたいと思ってばかりいたのです。

とても残念な自分時代も、たくさん経験させて頂きました。

 

 

 

あと、少し。

あと、少し。

 

 

いつもそんな感じでした。

 

 

利己主義と言う言葉を、調べてみますと、

 

自己の利益を重視し、他者の利益を軽視、無視する考え方。それにより、他者が不利益や損害を被ることも少なくない。

 

という事が、書かれてます。

 

 

また、エゴと言う言葉は、利己主義と同様の位置にありました。

 

一般的に、エゴという言葉には、

自己の利益を重視し、他者の利益を軽視、無視する考え方。という使われ方がありました。

 

 

「集団にいて、何か別の心の動きをしている事。」と言う物が、

私が、ずっと行って来た「魂磨きです。」が、

 

 

 

集団を理解しきれないままに行動していましたので、

失敗に次ぐ、失敗を繰り返して来たのが私の経験値です。

 

 

でも、止める気にもならなかったのには理由があります。

それは失敗が、正解だと気づいたからです。

 

 

すれば、するだけ、怒られる訳でしたが、

だんだん、慣れて来て最終的には全くの別世界に導かれるのです。

 

 

周りとの違いにも、どんどん何かを感じだします。

身体は、真っ二つにちぎれてしまいそうな感覚ですが、

 

 

実際は、魂の皮が一枚、また一枚とはがれて落ちているようで、

その感覚が、人生の味わいを、誰よりも、誰といる時よりも好きになる訳です。

 

 

 

何かがあったら、絶対にこれだけで次のステップへ行ける。

私が、私を、救う事で、私は今、この場所で、幸せを感じているのです。

 

 

 

利己主義である。事と、自由である事の違いを、

自分の中で、混ぜた状態にしてこれ迄いたのですが、

 

 

分解させて見る視点を、発見出来た事で

 

私は、今日も、貴方に幸せという気持ちを、

その手で、貴方の意思で、引き込んでもらう為のヒントになれば幸いです。

 

 

 

 

 

最後迄お読み頂きありがとうございました。

 

 

 

 

「すべては正解。

.真理はひとつ」の名の元に配信中です。

 

 

一度遊びに来てください。

お待ちしております。

 

 

松本幸子 facebook

 

 

 

松本幸子 Twitter

https://twitter.com/bigtreegod